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アスペ・エルデの会特別顧問  杉山登志郎
(あいち小児保健医療総合センター)
アスペ・エルデの会理事長    辻井正次
(中京大学社会学部助教授)

 2004年12月3日は、わが国の障害者福祉にとって、記憶されるべき日となりました。「発達障害者支援法」の成立に関わってこられた議員連盟の方々に敬意を表したいと思います。

 この法律において最も重要な点は、これまでわが国の福祉施策において障害と認定されていなかった、知的障害を持たない軽度発達障害を障害と認め、必要な支援を行うことを定めていることです。また発達障害に対する、早期発見と早期療育、家族支援、さらに、保育、教育、就労という生涯にわたる支援を地域主体で行うことが示されました。この法律によって、特別支援教育の推進によって先行した文部科学省と、厚生労働省の足並みがそろい、幼児期から成人までの一貫した支援が実現可能となります。またこの法律は、犯罪被害に逢いやすい発達障害者の権利擁護が明確に示されている点も画期的であると思われます。さらに、大きな問題となっている発達障害の専門家不足に対して、発達支援を行う医療機関の選定すること、発達障害に関わる福祉、教育、医療、保健、保育に関わる職員の専門性の向上を計ること、専門家の育成を行うことをも定めています。

 わが国では、専門家が極端に少なかったこともあって、発達障害は教育においても医療においても重視されて来ませんでした。しかし今日、教育や医療の大きなテーマであることが明らかとなってきました。杉山は2001年に開院した子ども病院(あいち小児保健医療総合センター)に勤務しておりますが、この新たな小児センターで働き始めて最も驚いたことの一つは、これまで情緒的な問題と考えられてきた病態に占める発達障害の割合の高さです。受診した被虐待児の実に53パーセントに何らかの発達障害が診断され、また不登校の32パーセントにも何らかの発達障害が認められたのです。発達障害の子どもが不登校になった時、「行く気になるまで待ちましょう」という指導を行うことは完全な誤りです。
 学校教育においては、学級崩壊をはじめ、軽度発達障害が関わると考えられる問題が最大の問題となっています。スクールカウンセラーも大きな改変が求められています。これまで情緒障害としての不登校のみに研修が偏っており、発達障害の知識と経験が欠落していたことは否めません。
 これまで成人の精神医学では患者の幼児期の発達を丹念にたどるという習慣を持ちませんでした。発達障害の視点から、診断学体系を見直さなくてはならない状況にあるのです。
 軽度発達障害がこれまで福祉の対象となっていなかったがために、特に就労において大きな支障となってきました。少しの援助できちんと社会的自立が可能になる青年に対する支援が滞り、結果として社会的予算が費やされていたのです。
 司法の世界では、特に高機能広汎性発達障害の少年によって引き起こされた重大犯罪への対応が近年大きな問題となりました。もしこれらの少年への幾らかでも早期の診断と治療が行われていれば、この様な不幸な事件は起こらなかったと考えられます。

 私たちはこの法律の制定が、障害児、者だけのものではなく、われわれ自身に大きな意味を持つと感じるものです。競争原理や力の論理によって世界もわが国も支配され、強者と弱者との格差がますます拡がりつつあると多くが感じており、わが国の若者たちの間には強い閉塞感が漂っています。私たちは忘れかけていますが、歴史の進歩とは「おのれ自身に責任の無い問題によって、不利益を被る割合が減少すること」です(市井三郎「歴史の進歩とは何か」)。軽度発達障害は、正に己の責任のない問題で不利益を受けてきた人々です。

 この法律の制定を巡って、一部の方たちから反対の声が上がったと聞いたときには耳を疑いました。ハンディキャップと認定されず不利益を被ってきた人々に対する障害認定を妨げようとする動きは、社会の進歩を止め、翻って自らの首を絞めるものとなります。

 この法律はわが国がこれまで無視をしてきたハンディキャップを抱える弱者に対し、適切な支援を与え、その権利を擁護し、共に生きることを明確にうたっています。「発達障害者支援法」の制定は、力の論理に抗って、ささやかなりともわが国が進歩を果たしたことを示すものだと思うのです。